時事通信社
2007年・事前企画記事

日中ピンポン外交に尽力―森武さん(1)
 =60年代、相互訪問で交歓大会=

【日中スポーツの架け橋】
森武さん 日中国交正常化の1年半前、1971年春の世界卓球選手権名古屋大会に、文化大革命の影響で国際社会から孤立していた中国が参加。スポーツの表舞台に復帰した。大会中、中国側が米国選手団に本国招待の意向を伝え、大会後に実現。後年の米中国交樹立への道筋をつくる「ピンポン外交」として知られている。「中国が名古屋に来たところばかりが光っているが、それ以前が本当のピンポン外交なんです」。東京都卓球連盟会長の森武さん(75)=早大名誉教授=は力を込めた。
 森さんは71年1月下旬から2月にかけ、日本卓球協会の後藤〓1 二会長らに同行して北京を訪問。周恩来首相との会談を経て、中国の名古屋大会参加が決まる重要な局面を経験した。だがこれも、「何年も前から続く日中卓球人の努力があったから」と信じている。
 卓球が戦後の日本を勇気付け、お家芸になっていた56年、世界選手権東京大会に中国が参加した。当時の日本は中国に反発する者も少なくないご時世。日本協会にとっては、入国や警備に苦慮しながらの受け入れだった。前年に早大を卒業した森さんは東京大会の日本代表入りを果たせず、本番では裏方に回った。中国選手団の世話係も役割の一つ。しかし、「練習の様子を外部にほとんど見せず、閉鎖的な雰囲気だった」。中国との交流に本格的にかかわり始めたのは62年からだ。
 その前年、61年世界選手権は北京が舞台。初めて国際スポーツ大会を開催した中国は男子団体で日本の6連覇を阻むなど、日本と同数の3種目を制覇。大会後、世界選手権のない年に日本と中国の選手団が相互に訪問し合い、試合を行う交歓大会の実施が決まった。
 翌年の第1回交歓大会で、森さんを監督とする日本選手団が夏に訪中。秋には中国を日本に迎え、各地を転戦。実力が伯仲した両国の対戦に、観衆は盛り上がった。森さんは、訪中で温かい歓迎ともてなしに感激。逆に日本開催の際は、中国選手団の入国手続きや警備対策などに奔走した。
 「中国側とは行き来するたびに親しくなった」。第2回の日本開催では中国が練習を公開し、選手が日本の歌を覚えて口ずさむ光景も。選手団長は帰国前、警備担当者に丁寧にあいさつ。森さんは感じた。「世界に向けて、開かれた中国になるための経験なのだろう」。
〓1 カネヘンに甲 写真説明:1960年代に卓球の日中交歓大会などを通じて両国のスポーツ交流に尽力した森武さん【時事通信社】 (配信:2007/10/24)

   

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