時事通信社
五輪ヒストリー

万国博覧会の付属大会=第2回パリ大会(1900年)

ピエール・ド・クーベルタン男爵 第1回大会の成功に意を強くしたギリシャは、同国でのオリンピック恒久開催を主張したが、国際的にスポーツを普及したいとの狙いがあったクーベルタン男爵は、各国の大都市で開催することを主張。結局、彼の近代五輪再興の努力と功労に敬意を表する形で、パリでの開催が決まった。
 クーベルタンは母国・フランスでの「スポーツ博覧会」開催を目論んだが、大会は彼の理想とはかけ離れ、政府主導の万国博覧会に吸収されてしまった。会期は5月20日から10月28日まで5カ月以上にわたり、そのため競技会場の不備や運営のまずさも目立った。
 テニスとゴルフの2競技に初めて女性が出場。テニスのシングルスで優勝したシャーロッテ・クーパー(英国)が女性金メダリスト第1号となった。
(配信:2008/5/12)

◎【その時世界は】
 19世紀後半の産業革命によって、電気や石油をエネルギー源とした技術革新がもたらされた。電話や自動車、電気機関車などが次々と発明された。それらを一堂に集めて開かれたのがパリ万国博覧会。テクノロジーが急激に進展する一方で、芸術の世界では世紀末的で耽美な雰囲気をたたえたアール・ヌーボーがもてはやされた。(了)

国際オリンピック委員会創立後、各国の代表と一緒に記念撮影する近代オリンピック創始者のピエール・ド・クーベルタン男爵(右から3人目)【AFP=時事】

※主要参考資料
近代オリンピック100年の歩み(ベースボールマガジン社)、最新スポーツ大事典(大修館書店)、オリンピックの事典(三省堂)、国際オリンピック委員会の百年(IOC)、日録20世紀(講談社)、JOCホームページ、熊本県和水町ホームページ

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