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五輪ヒストリー

熊谷、日本人で初メダル=第7回アントワープ(1920年)

ウィルソン米大統領 第1次世界大戦終結から2年後の第7回大会で国際オリンピック委員会(IOC)は、特に戦禍のひどいベルギーのアントワープを「平和の祭典」の開催地に決定した。
 29カ国から2668人の選手が参加。この大会で初めて、オリンピック旗の掲揚と開会式での選手宣誓が行われた。
 陸上ではフィンランドのパーボ・ヌルミが5000、1万、個人クロスカントリー、団体クロスカントリーの4種目に出場し、金メダル3、銀メダル1を獲得。ヌルミは1924年パリ大会、1928年アムステルダム大会にも出場し、通算9個の金メダルを獲得した。五輪参加2度目の日本は、テニスの熊谷一弥がシングルスで銀メダル、ダブルスでも熊谷、柏尾誠一郎組が銀メダルに輝いた。
 【日本人メダリスト】▼銀=熊谷一弥(テニス・男子シングルス)、熊谷一弥・柏尾誠一郎(テニス・男子ダブルス)
(配信:2008/5/12)

◎【その時世界は】
 第1次世界大戦の惨禍を経て、恒久平和を掲げ42カ国による国際連盟が発足した。そもそも国際連盟はウッドロー・ウィルソン米大統領が創設を提唱したものだが、その後米国内では孤立主義が高まり、連盟への参加を見送った。また米国ではこの年から禁酒法が施行された。アルコール飲料の製造、販売、輸送を禁じるものだが、飲酒そのものは認められおり、マフィアに暗躍の場を与えるきっかけとなった。(了)

国際連盟の創設を提唱したウィルソン米大統領。しかし、米国自身は孤立主義の高まりを背景に連盟に加盟することはなかった【AFP=時事】

※主要参考資料
近代オリンピック100年の歩み(ベースボールマガジン社)、最新スポーツ大事典(大修館書店)、オリンピックの事典(三省堂)、国際オリンピック委員会の百年(IOC)、日録20世紀(講談社)、JOCホームページ、熊本県和水町ホームページ

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